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はじめに ~ブログ、ふたたび~

2011年3月11日の地震以降、ご心配いただいている皆さまへの近況報告と記録を兼ねて、ブロガー復帰することにした。ブログはおろかmixiとも離れて、久しく文章を書いてないので、もたもた感満々なのが気になるところだが、そこは目をつぶっていただいて。

・・・ご心配をいただいている皆さま、心からお礼を申しあげます。
一人ひとり、個別に近況のご報告をしたいのですが、ブログにて暮らしぶりを確認いただけたらと思います。
ちなみに、以前のブログもそのまま残してます。あれはあれで、今読むと結構、面白い(笑)

★当面の間、この記事をトップ表示にいたします★

May 03, 2011

黄金週間突入

宮城県は、30年に1度は宮城沖地震に見舞われることになっているらしい。
3月11日の地震の時、みんなで一斉に『これ、宮城沖だよね?』と言い合ったのだが、震源は三陸沖。4月7日の最大余震の際も、今度こそ来たかと思ったものだ。地震直後の地元の報道特番でも、東北大学の地震の先生が、30年前の宮城県沖地震の再来の可能性が高い、とコメントしていたのだが、結局、違う種類のものだったことが判明した。先生も、そうであって欲しい・・・と思ったのだろう。

まじない学校(つくずく怪しくてすみません)のセミナー受講のため、連休最終日には東京に行く予定。地震が来るのは仕方がないが、新幹線が止まって受講できなくなるのは困る。帰れなくなるのも困る。その間何とか保ってくれないだろうか。さらに、まだチケットゲットの連絡はないが、6月11日は東京ドーム。この日に来られるのも困る。前後5日程度、避けてはもらえないものだろうか。
・・・そして、何より、福島に影響の出ないようにしてもらえないだろうか。切に願う。

来るの来ないのどっち!?と若干キレ気味ではあるが、落ち着いたとは言えないものの、私の感じはそんな感じである。私たちが暮らすのが地球である以上、地殻変動は避けられないのだろうし、地球からしてみたら、プレートずれましたけど、何か?くらいもので、人が住む場所で起きたことにより、それが『災害』となって悲しみを生む。
(今気付いたが、『災い』と『害』って、これまたすごいことばだねぇ・・・)

次は5月3日だ(間もなく終わるね)、いやいや5月5日だ、関東から東北まで震源地はどこどこだだのと、諸説飛び交う。飛び交うが、結論が出るはずもなく、あたりまえだが、分からない。だから怖い。
怖いのだがー。根拠も何もない、単なる私の勘(かなり希望的観測入ってる)だが、しばらくは落ち着くのではないかと思うのだがどうだろう。4月7日最大余震の前の、うーーーーう、来る、きっと来るー、という貞子的な、ネガティブな感覚とか憂鬱感が、皆無ではないがあまりない。一昨日、仙台の街中での人々の活気を見てもそう思った。来るかもしれないけど、来ないかもね、くらいいの人が多いのではないかと思われ、それはそのままみんなが漠然と持ってる本能的な『予感』みたいなものなのではないか、と思うのだ。

念のため言っておくが、私に何かそういうことを感じ取れる特殊能力があるかと言われたら、全く皆無。私自身が当てにしてないので、備えに余念はない。何たってふっとぶので、会社の机の上のものは全て段ボールにつめて床に置いてきた。備えあれば憂いなし。緊張感漂うゴールデンウィークであることには違いないが、根拠も能力もない『私の勘』が当たるよう、祈る。
つまり結局、怖いんじゃん?とつっこまないように。そりゃ、怖いさ。

Apr 30, 2011

それぞれの使命

昨日4月29日、東北新幹線が全面復旧した。地震直後の写真を見たとき、復旧までどれくらいかかるんだ・・・?と途方に暮れたものである。はやぶさが通常のスピードでかっとばしてるかは不明だが、とにかく、青森~東京まで、そして3月12日に全面開通となった九州新幹線と合わせて、本州が線路でつながったことになる。
世界一と言われる日本の鉄道の技術の高さ、そして、鉄道マンの方々の使命感みたいなものをひしひしと感じた。青森ディスティネーションキャンペーンまでに絶対に復旧させる!という強い思いが伝わる。はやぶさに乗って、是非青森へ。

仕事柄、出版社などなど、マスコミ関係に携わる方々と関ることが多い。仙台のエリア誌は4月下旬から再開し始めた。こちらもまた、広告収入が厳しい中、使命感により発行再開に至ったものである。

4月25日に発行された仙台のタウン誌『S-style』と『仙台Kappo』。私ごときがおかがましいが、特に『Kappo』は作り手の迫力の感じる素晴らしい出来である。『S-style』と併読すると、シビアな現実を抱えた仙台(東北)と元気な仙台(東北)、悲観するでもなく、空元気でもない、いい感じのメッセージがバランスよく伝わって来るので、電子書籍も販売してるしAmazonで書籍の購入もできるので、ぜひご一読を。(って私は出版社のまわしものか)
ちなみにこちらは地元の出版社なだけに、求められること、必要なことが日々変わるって行く情況はよく分かっていて、取材日と発行日との感覚的なタイムラグを配慮し、今回は取材日を明記したとのこと。地元の方、もしかしたら避難所に居る方も目にする可能性のあるものだから、あたりさわりがない内容とも言えないだけに、それはそれは慎重に作ったのだと思う。でも発信したいメッセージがあった・・・そんな想いが伝わる。

使命感と言えば宮城県の地元紙『河北新報』。地震の翌日、3月12日の朝刊がしっかり配達されていた。作る人、輪転機を回す人、配達する人、新聞を届けることを諦めなかった人たちの心意気も素晴らしい。被害が大きかった石巻の地域紙は、手書きで新聞を発行したと聞く。格好よすぎである。

この出来事は本当にただごとではない。すぐそこには、一生のうちで目にすることがあるとは思っていなかった言葉を失う光景が今もまだある。個人的にも、神奈川から仙台に来て、中心部に引っ越すまでの数年間を過ごした海沿いの町の家の周辺の風景は一変しているし(家はまだ父の家)、語ろうと思えばいくらでも語れる。写真を撮って来いと言われれば、30分で撮って来られる。それくらい、身近にその現実はある。見慣れることのないその光景に今だって泣ける。
一方、比較的被害の少なかった仙台市中心部、松島をはじめとする観光地や秋保や鳴子などの温泉地などもあって、被害が大きかった地域の方々に対する罪悪感みたいなものを、一様に抱えていた時期を経て、何とか普通に戻ろうとしている。普通に戻ることこそが、自分たちに課せられた使命だと気付いたからだと思う。

被災、復興、支援、そんなことも常に頭にあるしとても大事なことなのだけど、でも、『今の情況』を『それぞれの立場』で淡々と受け止め、淡々と暮らすことも、大事なのかもしれないと思う。風化させないためにも、浮き足立たず、長期戦に備えたい。
Kappoの土方正志さんの記事、旧なる仙台に復することなんてもはや無理だと言える大災害、新たなる仙台への再生創出なのだ(主観的な簡略化)・・・という究極的な前向きなことばに深く共感した私であった。

Apr 24, 2011

番外編:当選祈願

氷室京介、復興チャリティライブで東京ドーム決定。4月18日に一斉リリースされた。
このライブのリリースは、ものすっごく嬉しかった。そうか、そんなこともあるんだったと思い出した。
ず~っと地震と地震後のことしか考えてなかった気がする。もちろん、今もそんな状態なのだけど。

絶対観たい。私が観なくてどうする。絶対観たい。新幹線も開通するし、絶対観たい。
チケットゲット、成りますように。

余談だが、全編BOOWYのライブってことで、再結成を望む声も多かったようだが、私の中では氷室はBOOWYを越えているので、個人的には再結成反対。実現しなくてほっとしている。そう思ってる長年のファンは多いんじゃないかと思うのだがどうだろう。だから氷室はかっこいいのだ。


先週の風景

マンションの敷地内の桜。今年も見事に咲いている。
桜の向こうは、仙台と山形を結ぶ『JR』仙山線の北仙台駅のホームがある。先週から全面復旧してるはず。
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仙台市営地下鉄は、4月29日に全面復旧予定。当初、5月末と言われていたのだが、JR東日本の全面協力を受けて1ヵ月早まった。さすがJR。

県庁最上階のレストランからの眺め。郵便局に行ったついでに(会社の最寄の郵便局は県庁内)、思いついてランチしに寄ってみた。初めて行ったのだが、こんなに眺望が良いとは。地震に合わなかったら、行くことはなかったかもしれない。地震の前と特に変わることのない風景。
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仙台市中心部はほとんど普通の佇まいだが、駐車場に停まる自衛隊の車は少しものものしい。
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先日、宅配便をコンビニで出そうとしたら、まだ対応していなかった。まだときどきこんなふうにはっとすることがあるが、特に不自由はなくなった。長かったような短かったような。


Apr 23, 2011

備え貧乏~その①~

前記事でシリアスなやつを書いてみたが、そんな私も、4月7日の余震を受けて『やはり、備えよう・・・』マインドになったひとりである。
そもそも、地震の何がイヤなのか。本能的、根源的な恐怖感はもちろんあるが、あの、3月11日を経験したからには、『どんなものか』はうっすら分かってるはず。ならば何がイヤかと言われたら、あの『地震の後』をもう一度やり直すこと。それを考えると心が折れそうだ。

地震直後のストレスランキング第一位は、もちろんライフラインの停止。次いで片付け。
地震そのものに対する恐怖感のストレスを払拭しようがないならば、地震後のストレスの軽減を心がけようではないか。それには備えが必要だ。
平静を装うためにも、あくまで『わざわざ買いに行く』ことはせず、『目に付いたらついでに』を心がけ、長くて1週間の備えがあれば充分なのでまとめ買いをしない、をポリシーとした私の備え、今週のお買い物を発表してみよう。

・・・わんこのトイレ(予備)、単一乾電池、単三乾電池(2回で各1パック6本)、ウェットティッシュ3パックセット、洗濯洗剤、水2本(合計5本の在庫)、ランタン、手回し&ソーラー携帯充電機能付きラジオ&LED懐中電灯、私の部屋の祭壇用(怪しい)高さ80センチのサイドボード(収納扉付きの棚)etc。
なお、手回し充電懐中電灯については、安いものは売り切れで、3000円くらいの高級品しかなく、購入ボタンを押すまで結構悩んだのだが、水(生活用水)も困るが電気も困る。困るランキングは甲乙つけがたい。それくらい困る。ならばこの非常時に悩んでる場合でもないだろうと思い直し、決死の覚悟のワンクリックをした私だった。

消耗品から防災グッズ、果ては家具まであるので、結構な出費である。
でも、ほんの少し、安心したのも事実。案外、そんなことなんだろうとも思う。物流が回復すれば、ネットで物を買うこともできるし、普通に物が届くようになったことにも安心する。週末には家具も届くと思われるので、模様替え兼ねて落下防止もできる。またまた安心材料が増える。この出費は、必要経費というものだ。
そして、10年後、ランタンを見て、あの時テンパってこんなの買っちゃったんだよね~使わなかったけどさ~と笑えたらいいな、と思うのだった。

ところで、元来、ずぼらな私の目下の悩みは食料品と飲料水。保存食とは言え賞味期限はある。だからって食べちゃったら元も子もなく、食べては買い、買っては食べして期限切れを回避するのか・・・??考えれば考えるほど悩ましい。。

このメッセージがすごい!

必要なこと、必要とされていること、何もかも、めまぐるしく変わる。復旧と歩調を合わせるかのように上向きになったかと思うと、ガツっと突然落ちたりする。私を含めて、そんな感じなのが、なんとも居心地悪い。

先週は、4月7日に起きた大きな余震で、3月11日に戻ってしまったような不安感が市内を覆ってる感じだった。ざわざわといやな肌触りのする静かさとでも言うか。

余震と原発。不安は続く。現実的にもマインド的にも関東以北全域が被災地なのだが、それぞれの地域、それはそれは細かく細分化して行けば、一人ひとり、何が琴線に触れるか分からない危ういストレスを抱えてて、でも、それはその場に居ないと分からない事情やストレスだったりするのだろう。そのそれぞれの温度差なんかもそれぞれみんなが感じてて、でも、その温度差もあって当然だと思うのだ。

ただ、一丸となるはずがバラバラにならないよう、祈る。

そんな中、このメッセージは、すごい。
地震直後に仙台の友人(まあ、変な人仲間で先輩というか)が身内のメーリングリストで紹介してくれたのだが、今見ても響く。映像の方は、そろそろいらないのだけど、メッセージは、すごい。

http://www.youtube.com/watch?v=ds7jm3ZNvJU&feature=player_embedded

この映像のURLは、しばらくの間、しつこくアップするのであしからず。
今日は4月22日。金曜の夜なのに街はやっぱり何となく静か。だが、今日の静寂はそんなには悪くはなかった気がする。夜って、本当はこんな風に静寂なものなんじゃないか、と思ったりした。

・・・『祈り』を侮っちゃいけない。大勢の祈りの力は、絶対にある。
もう一度、一丸となるはずがバラバラにならないよう、祈る。

Apr 22, 2011

ガス復旧

4月14日、地震発生から1ヵ月と3日でガス復旧。
仙台港の仙台市ガス局施設の被害状況を見たときから長期戦は覚悟していたので、行水と洗髪の腕を磨き、サバイバル生活を楽しもうと心がけていたものの、しょせん、軟弱な都会育ちの現代人。温かいお風呂に遠慮なく浸かり、温かいお湯の出るシャワーで髪を洗うことの喜びを噛み締めている。

・・・喉もと過ぎれば熱さ忘れる。
・・・初心、忘れるべからず(少し違うか??)

仙台市は、一部を除いて4月19日までにほぼ全戸ガス復旧。
仙台市と全国各地のガス会社の技術者の方々、約2000人がかりでの復旧作業。我が家の開栓作業に来られたのは、北海道ガス(?とにかく北海道のガス会社)の方だったらしい。
復旧から1週間。
仙台市ガス局のホームページの翌日の開栓情報を確認しては落胆するのが日課になっていた日々が、ずいぶん昔に感じる。ガス局さんのホームページアクセス数もぐんと減ったことだろう。

全国のガス会社のみなさま、本当にお疲れさまでした。

Apr 02, 2011

私の場合@経過報告<長文です>

2011年3月11日 15:00前、大きな地震が東北地方で発生。数分後、停電。会社の同僚に助けられながら11階から階段で外へ避難、昨年、海の近くの住宅地から仙台市中心部のマンションに引っ越して来てたので、帰宅困難になることもなくそのまま帰宅。が・・・うちは12階。萎えそうになる気持ちを叱咤激励して階段を上がる。やればできるもんで無事到着。この間、同じ階の方などが、父の安否を確認してくだっていた。感謝。父もわんこ×2もけがもなく無事でまずは一安心。

食器は半分以上が落下して破損。飛び出し防止機能付きの食器棚から、飛び出していることにびっくりする。別にいいや、ウェッジウッドやバカラじゃないし、掃除機が使えないので手作業でもくもくと、半ばやけくそでゴミ袋に投入。
去年の引越しの際に持ってきちゃった父の手作り梅酒が廊下の収納から転げ落ち、玄関から廊下までは梅酒の匂いで酔っ払いそう。だからいらないって言ったじゃん、とここでクレームを言ってもしょうがない。そこを歩き回るわんこ×2。酔っぱらったに違いない・・・。

ただとごではないことが起きたとは思いつつ、停電でテレビが点かなかったので、情報はラジオのみ。情報としては知ってても、この時点では、宮城県民のほとんどは、被害の大きさは実感できていなかったのではないかと思う。

もちろん、ガスはすぐに停止。間もなく断水。
電気がないと、こんなに暗いのか、夜は暗いんだな、と改めて認識させられた日。そしてここは東北。ろうそくで明かりを灯し、ひざ掛けや毛布を何枚も身体に巻きつけて寒さをしのぐ。時間の感覚も覚束なくなる。
まあ、そもそも、時間の概念なんて人間が作ったもので、あってないようななものだけど。暗闇のせいか現実感が薄れる。宇宙の誕生に思いをはせたりなんかした夜だった。星が、ものすごく綺麗だった。

12日土曜日。
電気、水、ガスとも復旧せず。携帯の電池も残り少なくなって来て、緊急用の乾電池充電で何とかしのぐ。お風呂にためてたはずの水は、地震の衝撃で落ちた蓋で栓が外れて空っぽ。飲料水は確保できるが生活用水がない・・・。トイレは自ずと我慢しがちになる。2回に1回とか。遠慮なく出せる日を夢見る私であった。

13日日曜日。
会社の電気が復旧したのを知り、とにかく携帯の充電に向かう。自宅と会社の距離は約3キロ程度。この環境に感謝。
散乱した書類を片づけ、数時間後、帰宅するとマンションに明かりが灯っているではないか!たった2晩だけなのに、電気の明かりがとても懐かしい。電気を発明した人、エジソン?誰?誰でもいいけど偉大だ。
夕刻、マンションのエレベーターも復旧。その間、12階まで3往復はしたかも。やればできるものである。

14日月曜日
出勤。自宅は依然断水。会社は水も復旧してるから、家にいるよりはもしかして良いかも。
ただ、自宅もマンション1階までは配水されている様子。建物内の水道管の破損による各戸への配水見合わせとのこと。帰宅後、プチ台車大活躍で給水3往復。この日から、行水&洗髪生活が始まる。こんなに少ない量で身体も髪も洗えた自分を褒める。水を無制限に使えると思っていた傲慢さも思い知る。

15日火曜日
水道復旧。とにかく、洗濯だ洗濯。が、もったいなくて全自動にはできず。水位は極力少なく、すすぎも2回に。必然的に洗剤も最小限に。一人暮らししてた頃、お金がなくてこんなことをしてたのを思い出す。何ごとも経験しておくものである。水って、蛇口をひねれば普通に出るもの、ではないのだ。地球が支給してくれる大事な資源。多くの知恵と技術で各家庭に配られる贈り物なのだと痛感させられる。

時は過ぎ、4月2日土曜日
我が家は未だガス復旧せず。煮炊きはカセットコンロと電子レンジ。先週ゲットした電子ポットが大活躍。電磁波は良くない、などと言ってる場合ではない。電磁波除去のおまじない(?)しながら、文明の利器に手を合わせたい気分。電気と水道があれば、何とかなるもので、ガスのない不便さはそれ程感じなくなってきた。
お風呂は入れないが、行水と洗髪はマニュアルが作れるくらいの腕前である。初日の行水なんて今の私の技術からしたらド素人。人間は進化するのである。
ちなみに、最近の会社での朝の挨拶はガス出た?復旧した人は、羨望の的である。

地下鉄、JR在来線の全面復旧まではまだ時間がかかりそう。だが、東北新幹線が今月中に全線復旧するって?すごい力だ。東北自動車道も全線開通したし、東京までの『道』が通じたらずいぶんな安心感がある。不眠不休で復旧に尽力されたであろう方々に感謝。

16日(水)頃には、飲食店がお弁当の店頭販売も始め、プロパンガスの飲食店は限定メニューで営業再開。
18日(金)から、中心部の百貨店も開店。行列に並ぶ気合のない私は、この時点では買い物は諦め、家にあるもので凌ぐことに。お米もあるし物流が回復するまでだからと、それほどの危機感もなかったのだが、思ったより早くスーパーは機能しはじめ、3連休には並ばずして食材をゲット。ありがたいことに、会社からの救援物資もいただけたので、今日までお腹をすかせることもなく過ごしている。

コンビニが24時間開店していない光景は異様だし不便だが、だいぶ慣れてきた。先週の半ばくらいからはスーパーでもほぼ普通に買い物できるまでになっている。選べないが困らないところまでは物流も回復している。
ガソリンスタンドは未だ長蛇の列。並ぶ根性などさらさらないので、確実に手に入るまでじっと待つつもりである。あと1週間と踏んでいるがどうだろう。

動き出せば中心部の復旧は早い。被害が甚大だった地域や避難所の方々への物資は増えつつあるとは聞くが・・・落ち着きを取り戻しつつある中心部の自宅に居てさえストレスはあるのだから、余震の続く中、避難所暮らしの方々のストレスはいかばかりか。。。孤立した島の方々にも支援物資が行き渡ることを祈るばかり。。

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